風のワルツ

宝塚歌劇、楽しくブログで綴ります。

憧れの大正ロマン〜はいからさんが通るの世界

 

花組公演『はいからさんが通る』の初日が近づいてきました。

原作の漫画は連載開始から45年たちますが今なお愛され続ける作品です。

「大正ロマン」というノスタルジックな世界、そこに登場する超美形の陸軍少尉明るく破天荒な女学生、古き良き時代のラブコメディに心奪われずにはいられません。

 

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今日ははいからさんの背景になっている「大正ロマン」の魅力を探ってみたいと思います。
(少しですが内容に触れるところがあります)

 

 

大正ロマンとは


明治と昭和に挟まれた、たった15年の大正時代。(実際は14年と5ヶ月)

「大正 (ロマン)」という言葉から何を連想されますか。

レトロな建物、モダンガール、叙情画家、大正デモクラシー、ハイカラなお菓子、宝塚少女歌劇…

「大正ロマン」について、竹久夢二美術館学芸員の石川桂子さんはこのようにまとめられています。

大正時代、大衆のための芸術や流行風俗において生じた、個性と自由を尊重した風潮。
さらに和洋折衷と新旧の融合があらわれていることを特徴とする。

引用元:大正ロマン手帖 p

 

はいからさんの花村紅緒は、個性と自由を謳歌するこの時代の象徴的なヒロインと言えますね。

 

 おしゃれ

 

 女学生と袴

 矢矧(やがすり)の着物に袴、黒のブーツ、頭には真っ赤なリボン

紅緒のファッションは当時の女学生スタイルそのものです。

矢絣(やがすり)というのは元々江戸時代の大奥の女中が好んで着用していた着物の柄でした。
「放たれた矢のように真っ直ぐに進む強い意志」という意味合いがあります。
なかなか凛々しいですね!

上の画像のうさぎ女学生も着てます^ - ^(妹2画)

 

朝ドラ『エール』のヒロイン双浦環のモデルとなった三浦環は、当時のハイカラさんでした。
矢絣模様の着物に海老茶色の袴、髪には大きな白いリボンで自転車通学、
まさに花村紅緒ですね。

 

明治、大正と女学生が日常に着ていた袴はやがてセーラー服など洋装に変わっていき、着物と袴は姿を消していきます。

ところが、当時の『はいからさんが通る』のブームもあり、その後学生の卒業式に袴姿が増えてきました。
現在は小学生から大学生まで幅広く着用されています。

『はいからさんが通る』の影響力は凄いです。

 

タカラジェンヌと袴


そして宝塚歌劇団と宝塚音楽学校の正装は黒紋付と緑の袴です。

初期の頃はさまざまな色の袴でしたが、大正10年に緑の袴に統一されました。
詳しくはこちらから→https://kageki.hankyu.co.jp/100th/history/

 

着物から洋装へ


この時代は美意識が一段と高まってきて小物などにもこだわりがでてきます。
和服から洋装へと少しづつ変わっていく時期でもありました。 

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左から桐谷天香「銀杏の葉」/竹久夢二「影」/川上千里「御年始状」

 

化粧品


大正時代になると化粧品の種類が増えてきます。
化粧水にクリーム、口紅、頬紅、眉墨、マニュキアなど
また香水やオーデコロンも開発されました。


資生堂「オイデルミン」という化粧水をご存知ですか?
明治30年に開発され、改良を重ねながら大正、昭和、平成、令和と110年以上のロングセラーになってます。

桃谷順天館の「美顔水」これも130年以上の歴史があり、今は「明色美顔水」として販売されています。
もう一つ、天野源七商店 (現・株ヘチマコロン) の「ヘチマコロン」、こちらもベストセラーですね。

当時のポスタター

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髪型 

 主流はやはり日本髪ですが、既婚者や未婚者、娘、花嫁と多くのバリエーションがあったようです。

少女はおさげ髪が中心。

前髪を額で切り揃えて髪を後ろで束ねて大きなリボンを結ぶスタイルは女子学生の間で大流行していました。やっぱり紅緒ですね ♪

 大正時代髪型いろいろ↓

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職業婦人・モダンガール

 

当時の職業婦人とは、事務員や店員、医師や看護婦など専門職、女給、芸能関係などの職について社会活動に従事した、いわゆるホワイトカラーの仕事をしている女性のことを表します。

でもまだまだ職業婦人に対する偏見は強くて、多くは家事の妨げにならない程度で低賃金でした。

 

そしてモダン・ガール、略してモガと呼ばれる女性が大正時代末期に登場します。
洋服を着て、切り揃えた断髪、綺麗な化粧、
男バージョンはモダン・ボーイ、略してモボ
だそうです。

『はいからさんが通る』後半は職業婦人やモガやモボらが登場しますが、紅緒も洋装で冗談社で働く「職業婦人モガ」となって現れます。

       藤谷虹児「マロニエの花」↓↓↓

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少女雑誌・婦人雑誌

 

当時はたくさんの少女雑誌がありました。
確認できただけで7誌、残念ながらどれも終刊となってます。
1番長くあったもので「少女俱楽部」昭和37年終刊でした。

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婦人雑誌も多いですが、現在も刊行されているものが2誌あります。
ご存知「婦人画報」「婦人公論」
中身が気になりますね…女性の関心ごとは現代とあまり変わらないということですが。

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大正期の恋愛、結婚

 

大正時代の平均初婚年齢は男性が27歳、女性が23歳でした。

裕福な家庭の娘たちは小学校卒業後は女学校に進学して、卒業後すぐ結婚するか花嫁修行するか。
家の結びつきが重視されていたので親の決めた人と結婚するのが常識でした。

そしてお見合い結婚のシステムが出てきて、恋愛結婚が盛り上がりを見せたのも特徴です。

とは言うものの「男女7歳にして席を同じゅうせず」というのが当時の一般的な考え方。
小学校卒業後は男女別学となり身内以外の異性とは簡単に接触できませんでした。

自由恋愛から結婚へと発展する場合も様々な悲劇が起きるケースもあったようで、自由な恋愛を楽しむ…までの風潮ではなかったようです。

はいからさんの忍と紅緒のケースは少し変化球でドラマティックな流れですね。

 

5爵について

 
ここで「はいからさんが通る」「春の雪」など、明治から昭和初期の作品によく出てくる五爵について簡単に整理しておきます。

明治時代には「華族」という貴族階級がありました。
華族の該当者が増え続けた事で1884年、「五爵」という格付けが導入されました。

格付けは↓ 

公爵→侯爵→伯爵→子爵→男爵

五爵を含む華族制度は、昭和22年日本国憲法の施行により廃止されています。

詳しくはこちらから→「爵位」→https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%88%B5%E4%BD%8D


例えば『はいからさんが通る』
→ 伊集院家のの祖父は伊集院伯爵です。

忍は伯爵家の次期当主の座を約束された御曹司ですが、華族制度に疑問を感じていました。
華族の枠にはまらない紅緒の型破りな性格に惹かれたのでしょうか。

 

ハイカラな生活 

 

当時のハイカラ文化を言葉より画像で見ていただきたいと思います。 

大正8年三越の店内、田中良「東京新名所 三越」↓↓↓

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日本の初期の百貨店は全て呉服屋からの転業らしいです。


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新聞広告、わ、あれこれ欲しいかも!  笑
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宝塚少女歌劇団の始まり

 

さて最後になりましたが、宝塚歌劇団が誕生したのも大正時代です。
大正2年、鉄道を利用してもらう目的で小林一三さんによって結成されます。

・大正 2年   「宝塚唱歌隊」結成

いよいよ夢の舞台が宝塚の地に誕生します。

・大正 3年 第1回目公演を上演
・   8年 「宝塚少女歌劇団」が誕生
・  10年 花組、続いて月組が結成される
・  13年 宝塚大劇場オープン、雪組が登場

 そのあと昭和に入って星組、平成に宙組が誕生します。

    昭和14年宝塚グラフの表紙↓↓↓

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宝塚歌劇の再開、大正再び

 

ざっと書いてきましたが大正ロマンの香りを感じていただけましたか。

今回は竹久夢二美術館学芸員の石川桂子さんが編集された「大正ロマン手帖」を参考に私なりにまとめてみました。

竹久夢二は大正ロマンを象徴する抒情画家ですが、彼の絵を見ていると女性たちの可愛らしさや儚さの中に時代の息吹が感じられて、大正ロマンの世界へと誘われていきます。

 

いよいよ宝塚歌劇が再開しますが、おそらく『はいからさんが通る』も大正ロマンの夢をみせてくれるでしょう。
いつもとは違う観劇スタイルに不安や緊張感が全くないと言えば嘘になります。
舞台観劇すると決めることは自分自身に責任を負うことでもあります。

ですが観劇自体は大いに楽しみたいと思っています。

宝塚の始まりは大正時代、公演中止から数ヶ月経て大正ロマンで華やかに幕開けです。
宝塚歌劇に、そして新生花組公演に千秋楽の幕が下りるまで絶え間なくが降り注ぎますように。

花・うさぎ

 

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