風のワルツ

宝塚歌劇、楽しくブログで綴ります。

アントワネットとエリザベート〜退屈を恐れた2人のプリンセス ①

薔薇が美しく咲く季節になりました。

薔薇の花になぞらえるミュージカル界のプリンセスと言えば、マリー・アントワネットエリザベートが思い出されます。 

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舞台に映画に絵画にと大人気。

知り尽くされた2人ですが、『ハプスブルク家「美の遺産」』という本をきっかけに2人に関する本を数冊読見みました。
とても興味深く面白かったので誰かと共有したくなり簡単にまとめてみました。

同じ人間なんだと共感したり、
常識の違いに目がテンになったり、
そらあかんわとツッコミ入れたり。

またマリア・テレジアと娘アントワネットとの手紙のやり取りにホロリとして、
シシィの詩に胸を打たれました。

 

歴史の中の彼女たちは、私にとって憧れと憐れみの輝きを放つ存在です⭐︎
そんな2人の人生を辿ってみますが→知識を得るような大層な内容ではありません、

ここから2人の名前は「アントワネット」(フランス名で)、エリザベートは皇后になるまでは「シシィ」と表記します。

 

少女時代


まず2人の接点でもある名門ハプスブルク家の系図の一部です。

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アントワネットは1755年、マリア・テレジアの15人目の子供としてオーストリアに誕生します。大家族ですね!

マリア・テレジアは16人の子供を産み、私生活は質素で愛ある家庭を築いてましたが、公的な顔は厳しい専制君主でした。

初恋の夫とは仲が良く子供たちへは愛を注ぎながらも娘を次々に政略結婚に利用します。

父親フランツ・シュテファン
彼は政治には不向きでしたが、財政能力に長け、王家の借金を返したのも彼でした。
また自然科学に興味があり現在のウィーン自然史博物館の礎を築きました。

ゆったりとした性格で、女帝とは別の世界観を持つことで大変相性が良かったようです。

政治能力に長けた母親、財政能力に長けた父親、
で、アントワネットは一体誰に似たのでしょう…。
勉強嫌いで遊び好き、大家族の中で可愛がられて兄や姉たちとのびのび育ちます。
得意としたのは音楽やダンス
彼女の踊りは優雅で美しく、義祖父ルイ15世にも褒められています。

↓下の絵はマルティン・ファン・マイテンス作のマリア・テレジアと家族の肖像。
中央の赤ちゃんがアントワネット。輝ける未来しか感じられません。

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一方シシィは1837年誕生、父親のマックスはバイエルン"王"ではなく"公"
母親はルドヴィカ公妃、ゾフィー大公妃の妹ですね。
子供は7人です。

マックスには愛人がおり、ルドヴィカにも純愛があった。
愛のある結婚生活ではなかったようです。

母親は子供たちを溺愛し、政治的野心もなく姉のゾフィーに服従していました。

父親は自由な精神を持つ魅力的な人でしたが、物憂さと陽気さが同居。
家系には順応性を欠いた人物が多く、彼も突飛な行動や特徴的な性格を持っていて、それはそのままシシィに受け継がれる。

夫婦の関係はともかく、シシィは両親に可愛がられ、乗馬をしたり、兄弟たちと山を駆け回る自由で幸せな少女時代をおくります。

ただし、勉強は嫌いでした。
一緒ですね、

↓シシィがハプスブルグ家に嫁ぐ直前に描かれた乗馬の絵。これこそ彼女の望む姿だったのでは。

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こうして結婚まで2人とも家族に恵まれて自由で気儘な生活を謳歌していたように思われます。

数年後2人はこの故郷で過ごした日々をどのような気持ちで懐かしんだのでしょう。

 

番狂わせ


そしていよいよ2人の運命を大きく変えていく「結婚」

シシィが姉のヘレーネのお見合いの席でフランツに見初められたというのは有名な話です。
ミュージカル『エリザベート』にも描かれていますね。
結婚はシシィ16歳、フランツ24歳


アントワネットもまた本来は姉のカロリーナがルイに嫁ぐ予定でした。
元々ナポリシチリア王子フェルナンドに嫁ぐ予定だった彼女らの姉のヨーゼファが急死。
代わりにカロリーナがナポリ王子へ嫁ぎ、マリーがフランス王太子へ嫁ぎました。
アントワネット14歳、ルイ15歳
(因みにナポリ王へ嫁いだカロリーナは政治の実権を握り夫婦仲も良好で最も母親と似た人生を送った)


アントワネットもシシィも結婚は番狂わせ

もしも、姉たちの結婚が計画どおりに行われたら…。
歴史にどのような影響があったのか。
2人の運命はどう変わっていたのか。

運命のいたずらと片付けるには重過ぎる未来への旅立ちです。

 

王太子と皇帝


結婚前のルイとフランツについて。

フランス王太子ルイ・オーギュスト
彼は信仰にあつく真面目な人物でしたが、夢見る少女が描く素敵なプリンスというタイプではありませんでした。

内向的で、自分自身の殻に閉じこもり、自分が国王の器でないことを確信していました。
両親を早くに亡くし視野の狭い養育係に育てられたことも気の毒なこと、
また祖父ルイ15世の堕落した生活もあり、女性に対して恐怖心を抱いていたといいます。

彼の性格や状況を考えると、華やかなアイドルのようなアントワネットとどのように接すれば良いのか分からないというのも理解できますよね、素朴でいい人そうですが 面白みはないのかな・・。

 

オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ 
非の打ち所もないイケメンで完璧な優等生でした。

勤勉で几帳面、時間にも正確、責任感がありダンスも得意でした。
ドイツ宰相ビスマルクに唯一の欠点は「皇帝でなければ、お年のわりに真面目すぎるところ」と言わしめたほど。

子供の頃から厳しく帝王学を学び徹底して管理された彼が盲目的な恋に落ちた。
母親の命令に背いたのも初めてだといいます。

ただ、彼が選んだのは空想癖があり学業が苦手で管理を嫌う、自分と正反対の自由奔放な女性でした。
まぁシシィは美人で快活で魅力的だったのでしょうね、選び違えたかも?・・

 

マリア・テレジアからの手紙

 

アントワネットとマリア・テレジアの書簡をまとめた貴重な本があります。
上下段に分かれて419ページ、驚くほど多くの手紙のやりとりがあります。
下記はフランスへ旅立つ娘への手紙の一部分です。 

1770年4月21日

指針ー毎日読むこと
4月21日、旅立ちの日に。毎朝、目を覚ましたらすぐさまベッドを離れ、跪いて朝のお祈りを唱えて、神の教えを説く書物を読みなさい。(略)あなたが私のこの助言を守るかどうかは、もっぱらあなた次第です。しかしこれにより、この世であなたが魂の平安が得られるか否かが決まるのです。(略)わが国で普通に行われていることをしようとなさってもいけませんし、見習うよう求めてもいけません。私が願うのはそれと全く逆で、あなたは無条件に、フランスの宮廷でいつも行われているとおりにしなければなりません。(略)愛しい娘よ、これはあくまでもあなたの無事と幸せのみ願っている母親の善意の忠告なのです。(略)決して忘れないでください、あなたの貴いお父様の命日を、そしていずれは私の命日を。それまで私の誕生日に私のために祈ってください。

引用元:パウル・クリストフ (2002)
マリー・アントワネットとマリア・テレジア 秘密の往復書簡
岩波書店 3-5

政略結婚によって旅立つ14歳の娘に対して子供に諭すように細かく書かれています。
母親として心配でたまりませんよね、わかります。

 

シシィ、太陽の子

 

シシィはたくさんの詩を残しています。

近親者は、シシィが12月24日の日曜日生まれだったことを誇りにしていた。婚約時代に彼女はこう書いている。

「私は日曜日の子、太陽の子
高みから差す、その黄金の光線が私を導き
私の冠はその輝きを編んだもの
そして私は、その光の中に住んでいる」

婚約者に激しく抱きしめられたその翌日、青春の日曜日を果てしない束縛に変える、長い訓練の日々が始まった。

引用元:カトリーヌ・クレマン(1997)
皇妃エリザベート
創元社 55

16歳のシシィの輝かしい未来へのワクワクするような気持ちが伝わってきますね。
フランツと結婚すること、オーストリア皇后になることを夢見ている少女が目に浮かびます。

多くのものを背負っていよいよ2人の結婚生活がスタートします。

ここから、、というところですが今日はここまでにして続きは後日アップします。

 

 [ご報告]

前回の薔薇のブログ記事で紹介した『希望』の可愛い薔薇が咲きました!
赤い花びらと内側のほんのり黄色の花びらに『だいきほ』の薔薇感を感じています。

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うさぎ

 

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