風のワルツ

宝塚歌劇、楽しくブログで綴ります。

アントワネットとエリザベート〜退屈を恐れた2人のプリンセス ③ 「哀しみの皇妃」

 

今回はシシィがオーストリア皇妃になったところからの人生を追っていきます。
彼女が残した詩や、美容法なども紹介したいと思います。

 

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①はこちらです↓

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 ドイツ名はエリーザベトですが、馴染みのあるシシィ、あるいはエリザベートで表記します。

 

美神伝説

 

牢の中の皇妃

16歳でオーストリア皇后となり、自由に過ごした少女時代から儀式ばったウィーンの宮廷へ。
そこで彼女に待っていたのは厳しい姑との軋轢、閉塞感、孤独感。

目覚めれば、そこは暗い牢の中

結婚後わずか2週間後にシシィが書いた詩の一節です。

何と悲しみに満ちた言葉でしょう。

フランツはエリザベートを愛してはいても彼女を理解するのは無理でした。
その上皇帝としての仕事は山積みで母親に頭が上がらない。

儀式ばった宮廷に居場所を見出すことは出来ず、心を閉ざしていきます。

ゾフィーに黄ばんだ歯と指摘され笑う写真がひとつもないシシィですが、少女時代は笑い転げることも多かったそうです。

 

 自由と束縛と

18歳、ハンガリー訪問で見たのは自由への渇望、情熱的な気風。
彼女はハンガリーの全てを好きになり、ハンガリー人からも愛されます。
勉強嫌いの彼女が後にハンガリー語も完全にマスターするのですから!

子供たちはゾフィーに取り上げられていましたが、闘いの末に養育権を取り戻します。
ですがゾフィーの反対を押し切ってブダペストへ連れて行った長女が病気で亡くなり、再び子供たちを奪われてエリザベートの生活は荒んでいきます。

  「結婚とは不条理な制度。売られてきた。後悔。」エリザベートが発した言葉です。

 

すれ違い

政治上の試練が続くフランツはある伯爵夫人に慰めを求め、エリザベートも民間の舞踏会に頻繁に出かけ乗馬に明け暮れ、夫婦はすれ違い。

ついに皇后はノイローゼ気味になり突然泣き出したり咳の発作に襲われたり。
きつい体操にダイエットと、病気へと自分を追い込んでいく。

彼女は医者の勧めで転地療養へ出かけます。
旅に出ると回復してウィーンに戻ると悪くなる、の繰り返し。

フランツは愛人がいてもエリザベートを愛してました。
彼女の望むものは何でも与えますが、彼女の現実離れした心にはついてゆけず、
彼女も彼の立場や気持ちに沿うことはできず、放浪の旅は続きます。

 

シシィが旅をした時の専用の豪華な列車の内部↓
産業博物館に展示されています。

 

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引用元:ハプスブルク家「美の遺産」(2019)
世界文化社90

 

息子のルドルフは5歳にして4ヵ国語操るも殻に閉じこもり病気がちでした。
冷水シャワーや過酷な運動や軍隊式の教育を施されます。

 

29歳の時、エリザベートは生涯で唯一政治へ介入して、オーストリア・ハンガリー二重帝国を成立させます。
彼女がハンガリー王妃として戴冠したのは1867年、日本では明治維新が起こる前年。
彼女は見事に外交の花を咲かせたのですね。

 

「オーストリア皇后エリーザベト」ヴィンターハルター(1865)

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豪華な衣装を身に纏うエリザベート
誰も彼女の悲しみを知る由もありません。

 

1874年37歳、ミュンヘンで感染も恐れずコレラ患者を見舞い患者の手を握りしめたり、あれほど憎んだ姑の死の床に付き添い最後まで看病したり。

彼女がや病気に異常に関心を示していると解釈されたところから、ミュージカルで黄泉の帝王トートが誕生したのかもしれませんね。

 

エリザベート最期の日

1889年52歳、彼女に生き写しの皇太子ルドルフの猟銃自殺。
「もう、死んでしまいたい」彼女は折々呟やくようになります。

体調も悪くなる一方で、精神面での不安定さに加えてリウマチ、消化不良、脚も悪くなっていました。

1898年 9月10日、エリザベート61歳。
運命のその日、彼女が宿泊していたスイス、レマン湖畔に建つホテル「ボー・リヴァージュ」では皇妃の泊まった部屋が今も使われています。

蒸気汽船にのろうとした皇妃の心臓にヤスリで一突きしたのはルイジ・ルキーニ
イタリア人、無政府主義者。
狙っていた仏人オルレアン公が予定変更で先に発ったので、代わりに彼女を狙いました。
王族なら誰でもよかったと。

「何が起きたの?」エリザベート自身何が起きたのか分からないままに、あれほど望んでいた死の世界へと旅立ちました。

 

エリザベートの詩

エリザベートが49歳の時、イギリスで作った『冬の歌』の中の詩です。

「未来の魂へ」
私はひとり この世をさまよい歩く
人生の喜びも すでに昔の事
心の友は どこにも見出せず
私を理解してくれる人もいなかった

天の心が 私の精神を支える
その命ずるままに 無上の目的のため
死へと飛翔しよう

もし今、この心の声が届かずとも
時が移り変わると いつの日か
この私の歌は 花開くだろう

彼女の魂の安らぎはやはり地上にはなかったのかもしれません。
彼女の求めていたものはやはり・・。

 

宝塚のエリザベート

宝塚歴代エリザベートの中でどなたが好きですか?
お気にりのシシィはいますか?

1人だけ選ぶとすれば、私は花總まりさんです。
歌はみりおん(実咲 凜音)が上手いと思うし、となみちゃん(白羽ゆり)も好きですが、総合的にみると花總まり、になります。

エリザベートの孤独、繊細さ、人を寄せつけない硬質な美、内に秘めた悲しみや憤り、
それらが花總まりの持つ独特の空気感と見事にマッチしていると感じたからです。

特に退団後のエリザベートは演技に磨きがかかり完成されたものでした。
それほどエリザベート役は難しいのだと思います。

その意味で、若いOGたちの今後が楽しみでもあります。

因みに私はちゃぴちゃん(愛希れいか)はエリザベート役より『1789』での躍動感と強さと切なさを表現したアントワネット役に、より魅力を感じます。

 

シシィのこだわりの美容法

シシィは常にダイエットと運動を欠かしませんでした。
身長172cm、体重48㎏、ウエスト50cm

実は甘いものが大好きで、そこもアントワネットと同じ。

ある日はミルクだけ、果物だけと、かなり好みも偏っていました。
ミネラルウォーターにもこだわり、わざわざハンガリーからお取り寄せ。

夫のフランツも心配して「きちんとした食事をして生活を正すように」と旅先へ手紙をおくるほど。
この極端な偏食も心因的な要素が大きいと言われています。

 

また完璧な美を求めていたシシィは、体型を保つ為に体操の道具を王宮内に取り付けて、毎日励む。
乗馬、水泳、フェンシングにも凝っていました。

また早く歩くことも美容には欠かせなく旅先では女官も付いていけないほどの早足、
この辺りもミュージカルにありますね。

スミレのローション、卵黄のパック、いちごの実のパック
洗髪は3~4週間に1度、卵黄とコニャックで。
ひまし油やマカッサルオイルで潤いと艶を出します。
髪の長さは膝下まで、毎日2〜3時間かけて結い上げ美髪を保っていました。

アントワネットやエリザベートは薔薇のイメージがありますが、2人ともスミレが好きだったようです。

スミレの香りは気持ちを落ち着かせる作用があります。
機会があればいつか、スミレに関するオイルや香水、美容、スィーツにティー、ポプリなどをブログ記事にまとめてみたいと思います。

  

退屈を恐れるプリンセス

 

彼女はある時こうも言っている。「退屈することが嫌なのです」と。これは形こそ違えど、アントワネットとも似通っている。(略)亡くなる10年ほど前からは、常軌を逸することが多くなり、周りも手を焼くようになった。常に何かに駆り立てられるように動いてしまう彼女の内面には、果てしない精神の高まりがあって、自分でもコントロールすることができず、周りにも理解されなかった。矛盾した心を抱えて、彼女は旅の先々でたくさんの詩を作った。白髪まじりのシシィは美貌は失われたかもしれないが、内面を見つめる目をしている。


引用元: ハプスブルク家「美の遺産」(2019)
世界文化社 91

 精神状態が安定せず退屈を嫌い動かずにはいられないエリザベート、
一方アントワネットも「退屈することが1番恐ろしい」と言っています。

 表向きの華やかな生活や美しさに隠された孤独を感じずにはいられません。

 

アントワネットとエリザベート、あまりにもドラマティックな2人の人生は伝説に彩られて今も舞台や映像の中に生き続けています。

これからも色々なメッセージを投げかけて永遠に語り継がれ私たちを魅了してくれることと思います。

 

うさぎ

 

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